富山の魅力を全国に発信すべく
日々汗をかく毎日

My memories at Dokkyo

アナウンサーを目指すきっかけは中学時代の父との会話

アナウンサーを目指すきっかけは、中学校3年生の時に言われた父親からの一言だった。「将来について考えなさい」その時は、「世の中にいいことを発信すれば、いい世の中になるだろう」と考え、テレビ局で働くか新聞記者になりたいと考えた。その考えは高校・大学と変わらなかった。ただ、獨協大学に入学した当時、周囲にマスコミ志望が少なくショックを受けたという。1年生だった三平さんは、テレビ局のアナウンサーに内定を決めていた先輩と話す機会があった。先輩は三平さんが1年生からマスコミ志望だという話を聞いて少し驚いたという。「テレビ局志望というのはもちろん応援したいけれど、まずは大学生活を一生懸命過ごしてみて、そこから志望を固めていっても遅くはないのではないか」とアドバイスをもらった。大学生でも自問自答の日々が続き、考え抜いた結果、「一生懸命やっている人の熱が好きで、それを伝えたい。」とマスコミ志望を固めた。

My Career Path
キャリアパス

意外だったのは「現場取材」の量。1日の半分は外で取材を行う日もあり、取材の企画も自ら行うこともあるという。取材ノートは宝物で、なくすのがこわいからと取材先からは直帰せずに必ず会社に戻るようにしているという徹底ぶり。「たとえ5分の現場から中継で何かを紹介する場合でも、淡々と紹介はしない。何が1番おもしろいのか、funnyでもinterestingでもいいから見つける。視聴者からはどのように中継すればおもしろさが伝わるか、どの角度の映像が臨場感があるかを考え抜く努力をしています。」当然のように話す三平アナ。ただ、そのように考えるきっかけとなったのは、入社2年目の失敗にある。当時(NHK佐賀放送局)、とある番組の放送後に上司に呼び出された。現場からの中継で、リハーサル通り、台本通りの進行で本番もミスはない。ただ、“想い” がなかった。「中継はどこがおもしろいポイントなのか?」と聞かれ、即答できなかった。悔しさより自分自身の愚かさで、直後別室で一人号泣した。上司からの言葉で、放送に臨む姿勢を改めた。

Message for you

獨協生へのメッセージ
「佐賀では嬉しい出来事も経験しました。担当していたスポーツ番組で応援していたJリーグ「サガン鳥栖」のJ1昇格に立ち会えたのです。昇格が決まる試合はスタジアムでハンディカメラを自分で回していました。ファインダー越しから見るサポーターの祈り・涙はいまだに思い出せます」
今後は東京で全国放送をやりたいと意気込む三平さん。より多くの人に影響力のある東京のスタジオを目指して、今日も富山の現場をかけまわる毎日だ。 (2016.12 取材:佐藤祐一)

文中の記載内容はすべて取材当時のものです。